新年度もひと月が経とうとしている。嘘だと言ってくれ。嘘です。言わせてくれ。嘘だ。
写真は行きつけの喫茶店、テットーコーヒー。いつも同じメニュー。おなじところでおなじものを飲み食いできないと調子狂うのです。だからチェーン店は偉大。バンザイ、セントラルキッチン! by 俺 a.k.a.資本主義の犬(この店はチェーン店じゃないよ)。
4月18日(日)
福岡から戻ってから、すべてにおいてやる気がない。行く前からいろいろやる気なかったけど、帰ってきてからはもう本格的に何にもやる気がない。まじで生きているのが面倒臭いっていう状態。
昨日は2週間延ばし延ばしになっていた心療内科の通院。2ヶ月ぶりの診察で状況を説明したところ、薬の種類が増えた。ちょっと前まで軽躁状態だったから仕方ないけど。
このやる気のなさは、鬱っていうよりバーンアウトって感じがする。舞台公演を終えた後なんかもおんなじような状態になるから、これはもうどうしようもないって思うのだが、しかし日常は進むから仕事は溜まる。
ここで「やらない」か「がんばる」以外の選択肢を取れないところに根本的な問題があるのだと思う。
もうすぐ子どもが生まれる。びっくりするぐらいに実感がない。し、本当にこのまま生まれて大丈夫なのかと思っている。
最近は消失願望を翌日に先送りすることばかりに明け暮れて自分のことしか考えられていない。こんな人間が父親なんてやっていけるはずがないだろうに、まわりは祝福モードだし、わたしひとりそのモードについていけず置き去りにされているような感覚。
心も身体も凍ったまま欲求のプログラムにしたがって生息しているだけの機械と人間のハーフ。
たぶんはやいとこ「父親プログラム」をインストールしなきゃいけないんだろうけど、この後に及んでそれを渋っているので全然出産の準備も進んでいない。
もうちょっと前向きなことを書きたいけど、前向きなことばがいまは浮かんでこないから困る。わたしはちゃんと父親を演じられるのだろうか。
4月20日(火)
今日の夕方なにげなくTwitterを見ていたら、わかこさんがつぶやいていた。
「アトリエは女優の稽古場で執筆あんどイカ製作所でドラマにハマる場所で、劇作家の執筆活動場所で家具製作所で確定申告に追われる場所で、カフェ店員の趣味の服作りの場所で、おしゃべりの場所で、ふと会話に出た事からクリエイションがはじまる場所。」
わかこさんは、わたしの運営するアトリエを使っている。去年の11月くらいからだったと思う。
そんで昨夜、おなじくアトリエユーザーで女優のまいこさんと一緒に朗読会をして、わたしは客としてそれを観た(聴いた)。
公開も配信もしていない、ただただ自分たちだけが楽しい遊び。道楽。
でも、これをプロトタイプとしてあらたな作品の種が確実に生まれた。とわたしは思っている。「これ、いけますね」と二人には伝えた。
収益が出るかとか評価されるかとかそういうのは二次的なもので、たがいになんとなく「いいね」「やりたいね」と言い合ったものを実現することがこのアトリエが追求する一番の価値なのだろう。
朗読していたのは山田詠美の『蝶々の纏足』。
二人の少女の愛憎。互いを愛しながら拒み、拒みながら一緒にいる。その関係性を描いていた。
この作品を45〜60分の会話劇に再構成したらいけんじゃないかとわりと本気で思っている。
遊びから作品が生まれそう。んでそこに字幕なども絡ませて、もしできるなら音楽も鳴らしたい。鍵盤と弦と太鼓。贅沢すぎか。鍵盤と太鼓。mouse on the keys みたいなイメージかな。
4月25日(日)
演劇がやりたい。なんだか熱が再燃してきた。
オープンダイアローグがやりたい。やはり熱が再燃してきた。
岡田利規と舞城王太郎とパク・ミンギュみたいな文体がほしい。
『急に具合が悪くなる』という本がある。大好きな本。
そのなかに、ある言葉があって、どんなのかというと「分岐ルートのいずれかを選ぶ。それは一つを選ぶことではなく、新しく無数に開かれる可能性の全体に入っていくこと」みたいなの。
シーザーはルビコン川を渡ったかもしれないし渡らなかったかもしれないが、渡ったことで遭遇するいろいろも渡らなかったことで遭遇するいろいろもあり、そのいろいろといろいろはもちろんちがういろいろだが、どっちが良いいろいろでどっちが良くないいろいろだなんて優劣をつけるなんてことはできない。どちらも単なるいろいろだ。
単なるいろいろに巡り逢い続ける人生。単なるいろいろを増殖し続ける人生。意味はそこにあとから降ってくる。選ぶことはいろいろを増やし、意味の雨を降らせ、やがて大地に芽を生やす。何の芽かはわからないし、というかこれは比喩だ。言葉遊びだ。でも人間は言葉でできている。「人間」ってのも言葉だし。
言葉でできたわたしは、でも物理的な肉の塊でももちろんあるので、やはり腹は減る。
肉の塊のわたしは電子レンジでパックのお米を温めて皿に盛り、カットしたレタスとスクランブルエッグをトッピングし、そこにビーフシチューを流し込む。ローソンで買ったアンガス牛のビーフシチュー。激うまである。
しかし、ビーフシチューを食べたのは今日ではなく昨日である。
だからビーフシチューを食べた肉の塊のわたしとしていまわたしはわたしを描いていたが、昨日のことであるならそれは言葉でできたわたしである。記憶を言葉に変換し書いているのだから。
でも昨日は確実に肉の塊であった。というか今日も飯を食ったから肉の塊であることには変わりない。というか飯食うとか関係なくそうなのです。支離滅裂である。
でも別にラリっているわけではない。最近あまり調子良くないから、エンジンの回転数上げるためには文字を書かないといけないのである。
でもそういうときほどちゃんとしたテキストをめざしてしまって筆が、まあタイピングだから筆なんて持っていないんだけど、とにかくちゃんと書こうとしたら書けないから、あえて最初で逸脱しておくというテクニックをここで使っているのです。
そうするとテキスト書けて、もちろん良し悪しは別でね、というかほとんど悪ししかないんだけど、そもそも質なんて求めちゃいないし、だけどこれをやっておくことでなんとかメンタルが沈み切らずに済むのです。とくに日曜の夜には必要な処置かもしれぬ。
だからわざわざ宜野湾の自宅からうるま市のアトリエまで来てこんなことをしている。異様だよね。
4月28日(水)
ここ何日か、死にたいと思っている。た。
どうせ死なない、って自分自身でたかを括ったりしてるけど、ほっといたらそっちに近づいていっちゃってる感覚は確かにあって、だから具体的に乗り越える方法はとったほうがいい。
コンビニでカップラーメンを買って、そのままその敷地内で食べる。高校生ならまだしも、大の大人が、しかも一人で、夕方に、なんて、なんかちょっと大丈夫?って白い目で見られたりするかもしれないが、大丈夫じゃないから仕方ないのである。
食べ終わった後、ちょっとだけ「どうでもよく」なっている。わざわざ身体的に苦しみにいくことはない、少なくとも今は、という選択肢が浮かび上がってくる。コンビニの敷地内でカップラーメンを食べる。コーピングのレパートリーが一つ増えた。
楽しいことを書こう。たまには。
といっても大して楽しいことなど起きてはいないのだけど。
楽しいふりをする。あるいは好きなふりをする。そういうのは意外と得意だったりする。
でも、ないものをあるふうには書けないので、あることにしないといけない。つまり楽しいことをしないといけない。
なんだろうか。
DIYだな。容易に思い浮かぶのはそれだ。何を作ろうか。
4月29日(木)
昨夜。もう死んでもいいと思った。
ひとり恩納村まで行って、どこかから海に飛び込もうかと思った。
別に恩納村に深い思い入れがあるわけではないけど、例えば万座毛とかはそういう場所だと聞いたことがあるので、確実性が高い場所なのだろう、ということと、部屋の中とか街の中とかだと後処理も大変だろうということで、海でそのまま見つからないのがいちばんいいんじゃないかってなんとなく思ったからだ。
でも怖くなって、途中でとある人に電話をした。繋がらなかったけど、しばらくして返信があった。嬉しかった。死ぬ必要はないと思った。
家に帰るまでの車の中はずっと泣いていて、そのせいで事故って死ぬんじゃないかと心配で慎重に運転した。やはり死にたくはないのだ。
朝から行きつけの喫茶店に行く。テットーコーヒー。
こうして死にたい気持ちを有耶無耶にする。結論を先送りする。
もっとじっくり味わおう。死にたい気分を忘れられるような時間をたっぷり過ごそう。
昨日帰りの車で泣きながら、このことをどう日記に書こうかと考えていた。
なんでこんな重いことを日記に残して、しかも公開しようと思っているのだろう。
やっぱりちょっとどうかしてるのかもしれない。この日記が何かの作品になるとは思えないし、こんなことを書けば周囲が不安になるだろう。
でも書かなきゃ、と思っている。たぶん、わたしは寂しいのだ。寂しさに殺されかけているのだ。
外からわたしの身体内にやってきて居座る寂しさをそのまま飼い続けたら、内部を侵食されてわたしは死んでしまう。だから、こうして外に放り投げようとしているのかもしれない。ちょっと前までわたしの身体を物理的に重々しくしていた「なまどろ様」(そういえば最近来ないな)のもっとメンタル寄りのやつが内部に居座っているのだ。
名前をつけよう。「寂しさ」だと概念っぽさが強いから、もっと具体的なマテリアルな名前。
「死にたみお」にしようかな。バカっぽいけど、その方がいい。
「死にたみお」なんてバカバカしいやつのせいで死んでたまるか、ってなりそうだ。暫定的に「死にたみお」とします。長いお付き合いになるかと思いますが、どうぞよろしく。