沖縄タイムス・文化欄コラム「唐獅子」。5回目の掲載テキストです。これが掲載OKなら、いよいよなんでもありだなと。いや、これまでも自由にやらせてもらってたんですけどね、でも、いいんですね、タイムスさん。ありがとうございます!!
声に出して読みたい野球用語
「適時打」。「てきじだ」と読みます。これは野球のタイムリーヒットのことなのだが、私の人生経験において「てきじだ」なんて音声を聞いたことがない。ほぼ新聞紙面やネット記事でのみ、つまり書き言葉としてのみ運用されている。
でも、だからこそ、声に出して言いたい。そんな日本語「適時打」。でも実際に「てきじだ」なんて発声しても、誰もピンとこない。そんな不憫な日本語「適時打」。
たとえばこんな状況。野球大好き老人の鉄春にとって、野球中継もほぼない現在、新聞の野球記事だけが娯楽だ。視力の衰えた彼は、孫の定春に紙面を音読するよう頼んだ。
定春は快諾し、新聞を広げる。そこには「大谷逆転適時打」とあった。「大谷逆転タイムリー」と変換し読み上げると、突然、鉄春が「本当にそう書いているのか?」と喚きだした。「そもそもタイムリーヒットという言葉は和製英語で、野球の母国アメリカではクラッチヒットと呼ぶのだ! それを適時打と日本語にするのならともかく、なぜその中間にわざわざ造語を設ける必要があるのだ!」と、野球用語の乱れを舌鋒鋭く指摘してきた。
真面目な定春は祖父の荒ぶりを真摯に受け止める。「じいちゃん、俺、記者になるよ! そして、この適時打問題を解決するよ!」
かくして新聞記者となった定春だが、「適時打」にまつわる慣習は手ごわい。何度記事や見出しに「クラッチヒット」と書いても、デスクに指摘され修正を命じられた。一方鉄春からは「いつになったらクラッチヒットが出るんだ?」と凄まれる。
どうする、定春。負けるな、定春。あ! 定春は閃く。ペンを取り、走らせる。「大谷2点適時打、つまりタイムリー(米国ではクラッチヒット)」。よし、これで全て解決だ!
バンッ! 突然目の前に、出したばかりの原稿が叩きつけられた。「文字数!」デスクが声をあげる。え? あぁ、文字数。文字数ねえ。
ふと、定春は気付く。デスクは、「!」を除けばたった3文字で、問題点を提示した。さすがだ。叱るときすら文字数を意識している。定春は、デスクに憧憬の念を抱いた。
「まあ、『米国』としたのは評価する。削るけどな」そう言い捨て、デスクは去っていった。
「デスク〜」。文字数を意識し、最大限の敬意を示す。伝わっているだろうか。そして定春は、窓の外に広がる青空を眺めた。「じいちゃん。俺、頑張って良い記者になるよ!」
[沖縄タイムス(2023.09.06)]