第39回[2023年10月18日]

沖縄タイムスのコラム「唐獅子」。7回目掲載分のテキストです。
私の身に起きた突然の不測の事態。いやぁ、大変だった。
当初の予定を変更しお送りします的な内容になりました。

不測の事態

 不測の事態が起きた。緊急事態だ。だからこのコラムも、急遽内容を変更する。本来であれば、風呂場でシャンプーとコンディショナーのボトルの配置がいつの間にか入れ替わっている怪奇現象についての考察を書くつもりであったが、それはまた別の機会に譲るしかない。それほど、大変なことが起きてしまった。

 首が回らない。慣用句としてではなく、身体的に、首が回らない。つまり、寝違えた。
 確かに金はない。だから私がここで首が回らないと書き、読者が「あ、この人は借金なのか何なのかはわからないが、とにかく金に困ってるのね」と読解したとして、その理解は誤りではない。要するにこの表現はダブルミーニングになっている。だが、そのことは今は全く重要ではない。問題は、首から上の可動域の極端な限定により、日常生活に大きな支障をきたしていることだ。

 まずは単純に痛い。捻ると呻き声が漏れる。あと視野が狭小になる。後ろを振り向けないので、後方から手裏剣などを投げられても視覚では察知できない。聴覚では察知できても、動けないので避けられない。敵に後頭部を晒し続けるしかない。
 そのような事態にあるにもかかわらず、私はデスクでパソコンを開き、椅子に座って、首への負担も厭わずにこの文章をタイプしている。決して寝そべってスマホで書いているわけではない。この私の健気で勇敢な姿を皆に伝えたいのであるが、それを声高に叫ぶのはいささか野暮である。決して振り向くことのない背中を見せ続けることで、この高尚さをお伝えしたい。

 ところで、手裏剣って令和5年の現在、どれほど生産され流通しているのだろうか。今の時代忍者として生計を立てるのはかなり厳しいだろうから、必然的に出回っている手裏剣の数量もかなり少ないはずだ。ということは、一度投げたものは後で拾って再利用している可能性が高い。つまり私の後頭部に刺さる手裏剣は、その前は見知らぬ誰かのどこかに刺さっていたことになる。

 なんて不衛生な。慌てて引っこ抜いてシャワーで流す。水が後頭部に直接当たるよう立ち位置を調整し、真っ直ぐに前を見据える。首から上はそのままに、腕だけを伸ばしてボトルのポンプを押し、シャンプー剤を手に取る。そのまま髪につけるが、なかなか広がらないし、泡立たない。体ごと旋回し視線を変える。そして気付く。ボトルの配置が入れ替わってる……。ミステリー。

[沖縄タイムス(2023.10.04)]


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