第34回[2023年8月10日]

沖縄タイムス・文化欄コラム「唐獅子」。
2回目の掲載です。
こんな無内容でいいのかと思いつつ、どうせやるならとことんどうでもいい、何の得にも徳にもならないものにしようと思います。
ライバルは、空白!(空白の方が意味を持ちそうな気もする)

父子の耳に念仏

 息子が久しぶりに夜泣きをした。しかし熱はないようだし、喉の渇きか空腹か、あるいはどこか痛いのか。妻と交互に抱っこしたりあやしたり、どうにか抑えようと試すのだが、なかなか泣きやんでくれない。
 寝ぼけた脳を鈍く回転させて息子に声をかけていると、ふと脚本のアイデアが浮かんできた。しかも、これが傑作の予感! だが、両手どころか身体ごとふさがったこの状況。賢い私はここで、聴覚から直接脳に書き込む方法を選んだ。
 泣き叫ぶ息子を抱き揺らすリズムに合わせて、その耳元に向けて、重低音のウィスパーボイスで、素晴らしいアイデアを、ありがたきお言葉を、念仏を唱えるように、やさしく繰り返す。

 え? なぜ息子にまで聞かせるのかって? 愚問だ。だが寛容な私は答えてやろう。その念仏を聞くことで、父は記憶し、子は泣きやむのだ。一石二鳥。合理的で画期的なソリューションである。
 違った。泣きやまない。息子の耳には届かない。たぶん届いても泣き止まない。むしろ勢いを加速させてる気もする。なぜだ。ありがたきお言葉なのに。
 仕方がないので息子をリビングまで連れて行き水を飲ませた。すると彼は少し落ち着いた様子を見せたのだが、私は焦っていた。念仏が頭に入ってこない。眠い。

 子が水を飲み干すのを待ち、寝室に戻る。大急ぎでスマホを手にしなんとかメモを書き込んだ。よーし、これは金になる! 直木賞、いや、ノーベル賞だ! しかも平和賞だ!
 スマホを放り投げ、大の字に転がり、天井を仰ぎ見ては深く息を吐いた。ふと横を見ると息子はすでにまどろんでいる。安らぎを感じ、目を瞑る。すると、すぐに朝になった。

 朝の支度を終え、仕事をはじめる。昨夜書きつけたメモを開くと、そこにはこう書かれていた。

「座敷童子と河童の親子が再雇用の旅に出る」「朝は神様、昼は妖怪、夜はユーチューバー」「ごんぎつねfromデトロイト・メタル・シティ」「スモールベースボール」

 何度読んでも、どれだけの時間見つめてみても、それらの言葉がどんな意図で書かれたものかまったく想起できなかった。ひとつ言えるとしたら、何かしら妖怪的なものがモチーフとなっているということか。
 俺、妖怪が書きたいのか? もしかして妖怪に憑かれているのか? ふむ……ただね、最後のスモールベースボールって何?

[沖縄タイムス(2023.07.26)]

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