第33回[2023年8月9日]

2023年7月よりはじまった、沖縄タイムス文化欄コラム「唐獅子」の執筆。
隔週の水曜日に、拙文を掲載していただいております。
本日、8月9日(水)時点で、3回目まで掲載されております。

その記念すべき1回目の掲載コラムを、こちらに転載します。
掲載から時間経って、かつ気が向いたら、ちょくちょくこちらに載せていきます。たぶん。

結果的に書けたけど

 はじめての掲載、まずは自己紹介を。兼島拓也と申します。劇作家です。……くらいですかね。劇作家って口に出していうとき、「げき」って言葉がちょっと重めに響くというか、「さっか」とだけ名乗るより若干硬めな印象になる(私だけ?)。あるいは激し目な感じ? 劇薬の劇でしょ? てなことになる(ならない)。でもそんなことはない、つまり激しくも硬くもない。私ほど穏やかな人間はいない(いる)、私ほど柔らかな奴はいない(いる)、私ほど日和見な者はいない(それは誇れるのか?)。などと無駄な文字数を浪費してしまった。私ほど無駄な人間はいない(それはそうかも)。こんなこと書いているうちに、本当に書きたいことを書くスペースがどんどんなくなっていくのだ。時間も掲載欄も有限なのに、その有限性を見て見ぬ振りしてる間に寿命は漸減していく。なんたる非情な世の理。ああ話がそれていく。テキスト運動の法則に身を委ねるとどんどん無意味に無鉄砲に文章は流れていく。エントロピーが増大していく。どうしたらいいのか。このまま無秩序に文字列が生成されていくのを黙って見届けるしかないのか。でも。ふふ。私は知っている。こういうときの対処法を。どうするかって? 簡単だ。改行するのだ。

 そうして規定字数の半ばを過ぎたあたりで、ようやく本題に入っていこう。ところが、読者はここで衝撃的な事実と出会うことになる。筆者には、何も書きたいことがないのだ。ビックリじゃない? 何書けばいいのかわかんないんです、私。

 思えば、劇作家としてありがたくも忙しくなったここ数年、私は「書きたいこと」なるものを所有していた記憶がない。だからいつも「こんな空っぽで俺は大丈夫なのか?」と不安になる。そんななかで依頼が来て、そのリサーチ過程でなんとなく書くことが浮かんでくるというか、もう少し正確にいえばテーマによって「書かされる」という状態になっていく。だから、執筆開始時点においては「書きたいこと」は見つからないのだが、書き終えてからはじめて「私はこれが書きたかったのか」と気付くことになる。かように「書く」という行為(現象)は、なかなか不思議な趣がある。

 さて、この文章もそろそろ終わり。いま、あなた、何を読まされてるんだこれは……って、思いました? ですよね。いったい、私は何を書かされてるんでしょうか。でもね、思うんです。私ね、これが書きたかったんです、きっと。

[沖縄タイムス(2023.07.12)]

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