第45回[2024年1月4日]

あけましておめでとうございます。
はやいものでもう2024ねんでございます。
なんかいやですね。ただただじかんだけがすぎて、ただただとしをかさねるだけで、なにひとつじんせいけいけんはつみあがっていっていないようなかんかくになります。
ことしも、なんとかいきのびます。

沖縄タイムス、文化面コラム「唐獅子」。
前回掲載分(2023年12月27日)にて、連載が最終回となりました。
ずっと書きたくて、でもなかなか形にならなかった「凸」と「凹」について、ようやく書くことができました。
感無量です。

凸凹の迷宮

米米CLUBの「君がいるだけで」は、ずっと東北の歌だと思っていた。だって「たとえば〜君がいるだ〜」って歌うじゃない?
あの「だ」は、「俺ら東京さ行ぐだ」の「だ」じゃないの?
石井竜也さ、その歌い方ちょっと不親切なんじゃないの?

でも、そういう「だ」ではどうやらないらしい。
その真実を知ったとき、すぐにでも誰かに伝えたくて仕方なかったのだが、でもそのときには私はすでにいい大人で、もしかしたら他の人はそんな理不尽をすっかり受け入れていて、「なに言ってんの常識でしょ」と私のほうが一蹴される可能性もないともいえないなと考え、踏み止まった。
今にして思えば良い判断だったのだと思う。ネットを検索してみても、私と同様の疑問を持っている人は見つからない。

だけど不思議だ。あれは東北由来の「だ」ではないって、皆はいつ気付いたのだろう。私は誰にも教わったことないのに。

「凹」って漢字についても教わった覚えがない。
これ1文字だけ見せられて、「おう」なのか「とつ」なのか判別できます?
近年「電凸」(でんとつ)というネットスラングが出てきて、じゃあこっちの凹は「おう」なのかと、そういうまわりくどい方法でしか読み方を思い出せない。

それならば「でこぼこ」と読めばいいではないかという声も出るだろう。だがその指摘は浅薄極まりない。
断っておくが、凹凸(おうとつ)と凸凹(でこぼこ)では漢字の順序が違うだなんて甚だ常識的なことをここで言うつもりはない。
そうではなく、これを「でこ」か「ぼこ」かの問いに変換したところで読めるとは限らず、それどころか、より一層迷宮に迷い込むことになる。

私はこれまで、「ぼこる」という言葉と凹とを結びつけて憶えようと何度も挑戦してみたが、それが記憶として定着することは、今日まで叶わなかった。
私が「ぼこる」から連想するのは、たんこぶで腫れた顔のイメージだ。だから「ぼこ」は膨らんだ状態、つまり「凸」ではないだろうか、と毎回疑ってしまう。

やむなく凸側から攻めてみる。
「でこ」は上に出(で)てるから凸、と差し当たり理解しようとするが、それも「上にボコっと出てる」というふうにイメージしてしまい、またしても混乱に巻き込まれる。
もう、しっちゃかめっちゃかだ。

それとね、「凹」って、5画らしいですよ。そんなに必要ですか?
あと、全然関係ないけど、「頁」で「ページ」って読むの、ムズくない?

[沖縄タイムス(2023.12.27)]

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