第27回[8月3日〜8月26日]

ずっと日記自体は書いてたけど、更新は久しぶり。ちょくちょく上げていこう。

8月3日

朝からアトリエにてちょこっと事務整理。事務プロジェクトが今日からスタートしたわけです。
ところがすぐにある人からあるLINEが来て一気にやる気が持っていかれる。恐ろしい、人間関係とは恐ろしい。

樋口直美さんのツイートで、「大丈夫ですか?」に「大丈夫じゃない」と言うのはハードルが高い、とあり、まさしく!となった。
そうなのよね。大丈夫とか聞かれたら、大丈夫以外の選択肢ないのよ。口頭での会話って難しいよね、ほんと。
基本コミュニケーションはLINEで取りたいと思ってしまう。このLINEのことと大丈夫かのこと、内容的になんの繋がりもないけど書いてしまったからそのままにする。めんどくせえですので。

やる気なくしたんでアトリエを出てテットーコーヒーへ。いつものやつを注文しこの日記を書いている。もうちょっとしたら店を出てジュンク堂に向かう予定。
『日常化する境界』という本を買う。沖縄の米軍基地周辺=「境界」を回ってフィールドワークを行った本、なのかな。
「境界」というのをどう描くのか、というのが今進んでいるプロジェクトの肝だと思うのです。
沖縄と日本、日本とアメリカ、ウチナンチュとナイチャー、戦争体験者と若者、生活と平和。
それぞれの境界は社会の中にあり、自分自身の内部にもある。それをどう描くか、或いはそんなものないのか。

今回のクリエーションでまず大きな一手になりそうなのが、9月に横浜で行うワークショップ。
そのためにテキストを書いているのだけど、それというのは大川メソッドを用いたキャラクターへの架空インタビューである。
これがいかにクリエーションに寄与するのかは今はまだ未知数だ。
けど、演出家の方から面白い返しをもらった。
このインタビューは当時の人をそのままの状況のまんまで現代に連れてきてインタビューしたという設定だ。ここで何が発生するのか。時代的なギャップである。キャラクターがインタビュアー(つまりわたし)に逆質問するたび、そのギャップが露わになる。そこを面白いと言ってくれて、わたしはそこを面白いと言ってくれたことが面白かった。
もっとインタビュアーの主体というか存在を出してもいいのかもしれない。早く続きが書きたい。ちょっと乗ってきた。
とりあえず一旦iPadを閉じて、トイレに行き、店を出て、ジュンク堂に向かい、自宅に戻る。そんな予定。

なんかいろいろと気分が落ち込んでいる。まあ鬱期だから仕方ないのだけど。でもいつまでこの生活を続けるのだろうかっていうのは、ちょっと考えなきゃいけないな。

でも書く。書くことでインタビューへの弾みをつけるという算段。

8月6日

少しずつキャラクターインタビュー(ひとりめの後半)もすすんできた。でもトピックが多すぎてどれを挿入するべきか迷うな。それにここに詰め込みすぎても二人目以降に萎んでしまう可能性も高い。どうせ計算できないのでそれはそれでいいとして。

鬱期の特徴として日記が書けない、或いは書けても全然おもしろくないっていうのがあって、それがバッチシいま来ているわけです。
それもあって全然文字数が増えていかない。それは困る。
文字数を増やすことでMP(メンタルポイント)を蓄積しているわけで、それが枯渇したら瀕死の状態になってしまいポケモンセンターに行かなきゃいけないのです。
ポケモンって、瀕死にはなるけど死にはしない、相手の息の根は止めない、というギリギリの倫理観を保って運用されている戦闘ゲームなわけなのですね。
モンスターに戦闘をさせるという動物倫理的にはたぶんアウトな、もしセーフだったらハブとマングースの決闘も早々復活するんじゃねえかっていうような感じなんですが、ともかくそんなアウト案件の中にも救いがあるという話なわけですね(そうなのか?)

なんでポケモンの話になって、そうなる前はどんなことを書こうと思っていたのか思い出せない。思い出そうと思えば思い出せるのかもしれないけど、別に思い出したいわけでもないし思い出すほどの必要性も一切感じないので、とりあえず思い出す作業は今はしない。ということは、今書いているこのブロックは一切必要ない。ただの無駄。愛すべきでもない、無駄。でもこれは残す。

今日の昼食はどうしようか、という取るに足らないことをここで書いてみてもいいかもしれない。これくらいのゴミみたいな内容を混ぜておくことでハードルは下がるし、それとのコントラストでちょっとでも意味のある事柄がさも大事なことのように感じられるという算段だ。ほんとか?
どうしよう、お昼ご飯。こんなこと書いてる間にインタビューしろよって感じだよね、わかってる、俺もそう思ってる、知ってる知ってる。というわけでチャチャっと決めちゃおう。ほっともっとのカルビ弁当。よし。決まり。食べに行こう。

のはずが、今はラーメン屋に来ている。そしてステーキを注文した。アトリエの近くにあるお店。
最近はステーキハウスに行くよりここにきてステーキを食べた方が安いしうまいじゃんというということで利用している。
食べ終わってアトリエにて休憩。その後インタビューの続き。まあまあ書けたんじゃないでしょうか。まあ、良しとしましょう。

8月12日

キャラクターインタビューa.k.a.大川メソッドの一人めがとりあえず終わった。あと3名。遠い。遠いぞ。遥かなる〇〇。
9月に予定していた横浜でのクリエーションが、緊急事態宣言発令中により参加ができなくなった。うわーん。行きたかった横浜。遠い。遠いぞ。遥かなる横浜。
よーし、とりあえずできることはやる、執筆頑張る、お腹痛いからトイレ行く。

朝から何度トイレに行っただろう。でも出た量とどう考えても合わない。バランスが悪い。お腹痛いなら出ろ。
いつまで経ってもスッキリせず痛みだけ残っている。隣の席のカップルに移してやりたり。マスターにお願いしてみようか。こちら、お隣のお客様からです。すんなり受け取ってもらえるかな。
腹痛パスを制度化するべき。腹痛パスカードをまずデザインしてみよう。わたしはいつも形から入る。腹痛パスカードのデザインは、スタンプカードみたいな作りにしよう。
10個スタンプが溜まったら替え玉一個無料。しかも極太麺。よりお腹に溜まるぜ。痛みが増すぜ。ワイルドだろぉ。そういやスギちゃんどこいった?

さて、鬱だからこそあえて無内容なテキストを書いたが、体がだるい。なまどろ襲来。停滞。定住。
薬の量も増えたしどうしたもんかね。飯尾さんの現実逃避シリーズみたいな現実が起きたらいいのに。ゴロゴロ〜ゴロゴロ〜って。
ダルすぎるから昼は少し横になろう。夕方からまた仕事戻らにゃならんし。今週末はワクチンだからこのだるさのまま受けたらどうなるんや。困るのお。

8月26日

怖い。今回は規模が違うし、内容も内容だし、正直ビビっている。でもやるしかない。

誰に向けての戯曲か、というのを冷静になって考えた時、やはり「観客」は一枚岩ではないし、いろいろな価値観があるし、その人たちを全員納得させたり感動させたりすることはできないわけで、やっぱり具体的な誰かを想定する方が書ける、と思った。
『ふしぎの国のハイサイ食堂』がディレクターとの共同作業だったからあまりイメージはできなかったものの、やっぱり演出する人に向けて書くというのが一番いいのではないか。
つまり、「これを演出したい」と思わせる戯曲がいいのではないか、ということだ。

じゃあ、なにが演出欲を誘発するのか。それはわからない。
でもひとつの要素として「力強さ」というものがあるのではないか。この曖昧な「力強さ」だが、例えばクリシェではない言葉、ステレオタイプではない人物像、予定調和ではない展開、そのようなものでありながら、より切実な「現代性」を孕んでいる、というようなことか。
わからん、いまわたしは適当に思いつきを書いている。

『ドライブ・マイ・カー』を観てきた。素晴らしかった。
けどまだそれを評する言葉を持てていない。まだ観たばっかりだからこれから発酵されてくるだろう。
一つ言えるのはこの作品はとても「ポリフォニック」なものだったということだ。でもこれについてもまだ論じたくない。あまりはやく言語化することでこぼれ落ちるものがあるような気がする。
「すべてをその人と受け止める」という三浦透子さんのセリフが胸に響いた。オープンダイアローグ的だ。

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