第31回[2023年5月17日]

ちょっと前から心療内科への通院を中断しているのだが、そのことについて書いてます。べつに壮絶な闘病期みたいなのでは全然なく、感動も教訓もまったくありません。

いまやってる脚本の仕事とはちょっと、というか全然関係ないけどいろいろ書きたいことが思いついたので、脚本から日記に執筆の宛先をすり替える(そもそも脚本は書いていない、書けていない、という説がある)。

まずはじめに。
わたしは双極性障害(躁鬱)を罹患している。で、ちょっと前まで心療内科のクリニックに通っていた。
「いた」と過去形で書いたが、治療が済んだ、もう回復した、ということではない。単にしばらく通院していない、新たな予約をとっていない、ということだ。

そもそも「治る」ってなんだよという話なのではあるが。
回復とは回復し続けることである、とかって言われたりもするわけで、外から線を引いてここからは治った大丈夫とかっていうことではない。すべては恣意的かつ暫定的にとりあえずの「回復」と仮定して事を進めたり立ち止まったりするわけだが。
でもまあイチイチこの言葉を毎回蒸し返していたらこのテキスト自体が進まないという問題もあるので、ここでは便宜的に「治療」とか「治る」とか「回復」とか使うけど、まあ、厳密な言葉ではないと思ってください。

なんでクリニックに通うにようなったかという経緯は割愛するけど、いろいろ悩んだ結果ついに通院を開始し服薬もはじめたのだが、正直なことを言えば、通い出しても状態はあまり良くならなかった。
服薬しはじめはたしかに落ち込みすぎないというか脳の働きが切断されて辛い記憶が芋づる式に引き出されることが減ったような気がしていたが、あまり持続せず、むしろなんか波自体は大きくなったんじゃないか、という感覚さえあった。
だから先生と話すたびに薬の量は増えていったし、それでいて状態は乱高下を繰り返し、薬の影響で脳も肉体もあまり動かない、動けない、というような状況が続いていた。

通院前に「いろいろ悩んだ」と上で書いたけど、その悩みのうちの一つが、「自分はちゃんとした患者であろうと頑張っちゃうんじゃないか」ということだった。で、結論から言えばその悩みは大いに的中した。

まず一つは服薬をきちんと守ろうとすること。忘れてしまうと罪悪感に苛まれた。

二つ目は、薬の効果がちゃんと出ている、つまり良くなっている、そういう状態でなければならないと思った。先生にその側面を見せなければならないと思った。

三つ目、これは二つ目と相反するようだけど、とはいえ患者なのだから患者らしく「ちゃんと」症状を出さないといけないんじゃないかと思った。
一回や二回の通院や服薬で治るなんて、お前ほんとに病気なのか? 詐病じゃないのか? 本当はどこも苦しかったり希死念慮なんてないんじゃねえのか? そう思われないようにしないといけないと思った。

この三つ目はまた厄介なところがあって、「ちゃんと」症状が出たことで安心するところもあり、かといって安心してるということはつまりその症状は偽りなのではないかと自分自身を疑い、また周囲からも疑われるのではないかと恐れ、自他に向けて苦しさをアピールしなきゃいけないような気がして、でもそうすると過剰な表現のようにも感じられ、という負のループが延々と繰り返されるのです。

こうしてわたしは診察室に入ると「ちゃんとした患者」モードで先生と向かい合い、ちゃんと薬を飲んでいること、効果が出ているということ、でも苦しいときもあるということを、そしてそれが本当だということを、嘘ではないということを、先生に疑いを持たれてはいけないと自分に言い聞かせながら語るのである。

そしていつの頃からか、回復のためという目的から、先生に指摘されないため、というふうに通院および服薬の目的がすり替わった。
ちゃんとした患者でいるために、薬を飲み、そして病状を維持することに努めていた。
そうこうしていると、案の定というべきか、次第に薬を飲むこと自体が苦痛になった。そして薬を飲んでいるのにあまり状態が良くならないこと(というか自分で回復から逆向きに引っ張ってるからね)を気に病んでしまった。

だから、わたしはこっそり薬を止めた。自らの判断で。
これは患者としてはあるまじき行為であり、いま通院されている方や服薬されてる方はおすすめしない。ちゃんと先生と相談してください。
でも当時のわたしは、先生に相談するなんて以ての外だった。だってそんなことしちゃったら、苦労して積み上げてきた「ちゃんとした患者」ポイントが一気に剥奪されてしまうではないか。

だからわたしは、先生の前では薬を止めたことを隠し、だが飲んでいるとも言わず、別に飲んでいることが普通のことだから別にそのことにいちいち触れることもないよねというふうな雰囲気に大いに依存して、要は「嘘は言っていない」という自分の中での最後の砦をよろよろと築いてから診断に臨むようになった。
先生に薬の効き目を尋ねられても、調子がいいか悪いかだけを答え、薬が効いてる効いていないという明確な答えは返さない。内容は噛み合っていないが会話自体は成立している。そういうやりとりをずっと繰り返していた。

そんな折、先生の方から「自立支援医療制度」というものの利用を勧められた。
通院をはじめてから1年半〜2年くらいが経った頃だった思う。通院期間が長期になっている患者に勧めているらしい。この制度を利用すると、患者の自己負担分の医療費が免除される。

クリニックから診断書をもらい、市役所に行って手続きをした。
次の予約の日、いつも通り嘘は言わずに、かつちゃんとした患者としての振る舞いも忘れず、滞りなく診断を終えた。

ほどなく受付に呼ばれ、「今回からお支払いはありません」と診療明細だけを渡されてクリニックを後にした。下の階にある薬局でもおなじように薬だけを受け取って支払いはない。
お金払わなくてラッキー、なんて感情は一切なくて、とても不思議な気分になっていた。というか、混乱していた。これ、俺、なにやってんだっけ?

たぶんだけど、お金を払うという行為によってなんとか、「治療」あるいは「回復」を目指しているという大義名分というか、そのテイを保っていたのだと思う。自分自身にそう思わせていたのだと思う。

でもそれが外れて、もう完全にわたしは精神医療という大きな枠組みのコマになった。
数ヶ月に一回、予約した日時に通院し、帰宅する。サイクルの中でひとつの点となって、患者としての役目を全うする。
治るとか回復するとかいう目的は後景に退き、ただそれをこなす。そういうコマになった。

ある日、服薬している(だろうと当然先生には思われている)炭酸リチウムの血中濃度を計測するために次回の診察時に血液検査をする、ということを先生から告げられた。
やばい、と思った。薬を飲まなくなったことでちょっと落ち着いていたのだが(いろいろとあべこべになっている)、検査をするのなら飲まなきゃならない、と焦りはじめた。飲んでいないのがバレてしまう。ちゃんとした患者ポイントが、、、
次回の予約は2ヶ月後だから、今回処方された分と飲まずにとっておいた分を合わせて飲めば間に合うのではないか(いや間に合うってなんだよ)、血中濃度を高められるのではないか、そうしたら先生からの指摘を回避することができるのではないか、わたしは本気でそう思って薬を3倍以上の量飲もうとした。
でもちょっと躊躇して、妻に相談したところ、人生でこれ以上のものを見たことがないというくらいの呆れ顔で、「アホなのか?」と言われた。そう、わたしはアホだったのである。

とりあえず服薬を停止し続け、気づくと通院日の3日前になった。するとまた突然ウジウジ悩みはじめたわけである。
目の前に大量の炭酸リチウム(とエビリファイ)がある。これを一気に飲めば血液検査をパスできるほどの血中濃度を獲得できるのではないか? アホだが、そもそもパスってなんだよって話だが、真剣にそれを考えたのである。
でもそれは傍から見たら完全なるオーバードーズであり自殺企図である。でもそんなつもりはなかった。いまは別に死にたいわけでもない。もっともっと死にたいという欲動が強い瞬間はこれまでにもあった。だから、いま死ぬわけにはいかない。自殺を図ったと周囲に思われるわけにはいかない。死ぬのはもっと死にたいときだ。だがしかし、いまはそうではない。
そんな意味不明なプライドによってOD行為を退けた。

でも、問題はなにも解決していない。このままでは服薬を勝手に止めたことがバレてしまう。
どうしよう、どうしよう、落ち着かなくなった。誰か同じ薬を服薬してる人を見つけ出して血液だけもらって検査時にこっそり取り替えられないかとか真剣に考えた。
考えすぎて、焦りすぎて、疲れ果て、体がダルく、関節が痛く、喉も痛く、高熱が出た。内科に行った。インフルエンザだった。

内科に行ったら、そこではちゃんとした患者を演じる必要がないということに気付いた。なぜなら本当に体に症状が出ているから。そのまんまを伝えればいいのである。

なるほど〜。別になにかわかったとか気付いたとかではないが、なんとなくなるほど〜と思った。そう、わたしはアホである。

心療内科に電話し、翌日に迫った通院日をインフルエンザのためにキャンセルしたい旨を伝えた。電話の向こうの受付の方が「わかりました」と答え、「次回の予約はどうされますか?」と続けた。
電話するのもしんどいくらい体調が悪かったため、「良くなってから再度予約取ります」と伝え電話を切り、そのまま眠った。深く深く眠った。

起きると、体が軽い! 熱もない! 喉の調子はまだ悪いが、食事を摂るのも問題なさそうだ。よかったよかった。
、、、待てよ。予約を取り直さなきゃいけないのでは、、、だって良くなったら予約取るって自分で言っちゃったし。どうしよう、、、。

いや、良くなってるけど、まだ早い。まだやんなくて大丈夫。そう言い聞かせた。
「学校保健安全法施行規則」の第 19 条第 2 項で、インフルエンザに感染した場合は「発症した後五日を経過し、かつ、解熱した後二日(幼児にあつては、三日)を経過するまで」を出席停止期間とすることが定められている。なんたって法律の後ろ盾があるのだ。
わたしはこれでも保育園の園長だし、園児じゃないけど職員だし、だからこの施行規則の条文は遵守しなければならない。自分の恣意的な判断で予約の取り直しなんてしてはいけないのである。

そんなこんなで体調も回復し、出席停止期間も明けた。さて。予約をどうしようか。
そして、わたしはこう考えた。「かかってくるまで待とう」。

いや、クリニック側から電話がかかってくるなんてことはないことなんてわかっている。でもわたしはそう決めた。
必要なら向こうからかけてくるだろう。そう思って、こちらから電話はしないことに決めた。こうしてわたしは再予約をやり過ごし、だから通院も中断ということになった。

それでどうなったか。
これがまあ、不思議と、意外と、そんなに問題ないのである。
ビックリじゃない? なんなんだ?! って感じじゃない?

と、こんな感じで通院中断に至ったわけであるが、その経緯云々は置いといて、この文章は長い。文字数が多い。これほど書き連ねたところで何がどうなるとか、メリットがない。
そして疲れた。だから、読んだらわかると思うが最後の方はかなり雑だ。でも仕方ない。だって疲れたんだもん。

まあつまり、疲れたら休む。キツかったら中断する。そういうことだ。

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なんか、うまくまとまった気がする。(ほんとか?)

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