第43回[2023年12月13日]

沖縄タイムス、文化面コラム「唐獅子」。
11回目のテキストをこちらに掲載します。社会生活を送っていると、不意に「地獄」があらわれ、暴力的に引きずり込まれます。
特に学校生活においては、その環境、制度、権力、そういったものも絡まってより「地獄度」が増します。地獄マシマシ。

ここはトイレじゃない

トイレの話をさせてください。決して汚い話ではない。

大学1年次、英語の授業。お腹の弱い私は、教壇に立つ女性の先生に見えるように手を上げた。
「すみません、トイレに行ってもいいでしょうか?」
すると先生は少し考えるようなそぶりをした後で、「英語で言って」と英語で言った。
いや、先生。こう見えて私、結構限界です。冷や汗ダラダラです。
そう答えたかったが、たぶんそうしたところで、その言葉も英語に変換するよう要求されるのは目に見えている。私の英語力でそのディティールを臨場感たっぷりに伝えることは不可能だ。

とりあえず思いつくワードを並べる。
文法も発音もどうだっていい。とにかくトイレに行きたいのだ。その熱意だけが頼りだ。
自分が想定するよりも大きく強い声で放った英単語は、どうやら先生には届いたようで、私を見ながら大きく頷いている。
息も辛辛に立ち上がろうとすると、彼女は「ちょっと待って」と日本語で言った。「ここの説明が終わってから」

その後は生き地獄だった。「ここの説明」ってなんだよ。私は、もてあそばれたのだろうか。

よく考えると、その「生き地獄」は学校生活の中にのみ出現するものではないか。学校という心身を縛る空間にのみ存在する地獄。

中学生の頃、例によってあまりの腹痛でうめいていたら、担任の計らいで早退することになった。
震えながら荷物をまとめ、這うように階段を降り、靴箱にたどり着いた。
すると背後から慌てた足音が聞こえる。振り向くと担任だった。

もしかして、苦しげな私を見かねて、自宅まで車で送ってくれるのだろうか。そのためにわざわざ追いかけて、声をかけてくれたのだろうか。

優しい一言を待ち構える私に、仏の体型をした担任がかけた言葉は、しかし無慈悲なものだった。
「明日から冬休みだから」そう言って担任は、私に大きな木材の何かを手渡した。担任は「技術」の教員だったが、それはその授業で作ったよくわからない製作物だった。

痛みと木材の何かを抱え、永遠の帰路をゆく。立つのも困難な大きな波に断続的に襲われる。
ふと、木材の何かを地面に置き、その上に腰掛けた。あぁ、ちょうどいい高さ。これは、担任の優しさなのか。

遠ざかる意識をつなぎとめるため、私は私に言い聞かせる。

いいか、ここはトイレじゃないぞ。

こうして私は、強い気持ちを保ち続けていた。

[沖縄タイムス(2023.11.29)]

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