第9回[2月19日〜2月26日]

3月になっちまった。確定申告という憎き風習をぶっ潰せ、ついでに資本主義もぶっ潰せ、そして美味い飯を食わせろ。もっと自由をよこせ。という崇高な思想でもって生活しているわたしは、でもお金はちゃんとほしいのです。すっかり資本に毒されている。

写真は、久米島で岩に感動して撮りまくったうちの一枚。また久米島行きたいなぁ。

2月19日(金)

Scrivener、ごめん、いままでちゃんと使わんで。めっちゃ使いやすい! これ慣れてきたらwordでやるのまじでおっくうになるんじゃないだろうか。
最終的にはwordで提出とかだろうけど、できるだけScrivenerの作業を引き伸ばす。そういうやり方でやろう。
workflowyである程度構想練って、scrivenerにメモをコピーして、台本もそのまま書く。うむ。いい。めっちゃいい。メモはiPadでworkflowy開きながら見て、ってやればさらに効率的やん。ふむ。これはいいぞ。テンション上がってるぞ。躁なのか?ん?

2月22日(月)

昨日から体調優れず、今日は朝から急遽な予定変更が連続したから、午後に無理矢理休憩をねじ込む。
考えたら最近は朝5時から執筆して、仕事以外は脚本のことに時間を当ててたから、何もせずにぼーっとする時間を作っていなかった。まずいまずい。
脚本ではまさにそういうボーッと時間の重要さについて書いているのに、書いている本人がそれやんなきゃ意味がない。

そういうぼんやり時間の効能が脚本に反映されている、そういうのが一番いい状態。
今回の脚本は、東畑開人『居るのはつらいよ』、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』、土井善晴『一汁一菜でよいという提案』、この3冊が重要なリファレンスとなっている。というかほとんどオマージュといってもいいかもしれない。

今回のオーディオドラマのプロジェクトでは、そもそもは「食」と「ダイエット」をテーマにしたSF作品を描きたくて構想し始めたのだけど、ディレクターとのミーティングの末にいまの形になった(今の形がどんなものなのかは、5月頃になりそうな放送をお楽しみにしてください)。
当初は伊藤計劃の『ハーモニー』と國分の『暇と退屈の倫理学』、磯野真穂の『ダイエット幻想』を下敷きにして、カロリー警察と不摂生ゲリラの攻防とを描く、ということをやりたくてアイデアを練っていて、そういえば『PSYCOーPASS』も参考になるだろうと観てハマっていた。
そういうのを考えながら実践してきた(今も実践し続けている)ダイエットの効果は今も継続的に出ていて、2019年の12月に75キロだった体重は、今朝の時点で66.2キロ。約9キロの減。
9キロって結構だな。全然運動やってないから、そろそろ運動も日常生活の中に組み込んでいきたい。創作終わってからだな。

そういえば、去年の8月に出した『玉ZINE』の続編を書いていない。
創刊号には短編戯曲とダイエット論を書いたのだけど、第2号ではダイエット論の続きを書きたい。
短編戯曲は思いつけば書くけど、めんどくさいからやらなさそう。表裏ダイエット論か。
あるいは、みうらじゅん論かバカリズム論。みうらじゅん論は想いが溢れ過ぎてまとまらなくなる可能性大だから、バカリズム論にしようか。
そうだとしても、あの紙幅で足りるだろうか。
わたしは無駄な言葉が多くてシュッとしたテキストを書けないから、WEBの方が向いていると自分では思っている。でもあえてシュッとしたバカリズム論を書いてやろうじゃないか、とかなんとか言いつつ、わたしははやいとこ脚本を仕上げないといけないのであり、その背後には確定申告という悪魔が口を開けて待っているのであり、そんな暇はないのである。いやだ。

2月23日(火)

オーディオドラマの脚本、とりあえず最後まで書いた。疲れた。。。
しかしここからの直しの方がむしろ本番みたいな、そういうところがあるのよね執筆って。
まあでも、とりあえずお疲れ。
今日で最初の直しをしようかと思ったけど、今朝4時からずっと書いてるから、もう脳が限界や。疲れがピーク。

昨夜はじめてTwitterでつぶやいてみた。んで、今日も調子乗っていくつかやった。
最初はなんかウキウキしたけど、すでに飽き始めている。
うううむ、とりあえず広報用にと思ってはじめてみたはいいものの、なんかフォロー数増やすことに対してちっともモチベートされなくて、とりあえずエネルギーの捌け口として利用すればええのかもね。

とりあえず書き終えたから、次にやるべきは確定申告。いやだけど。明日からやる。
あと「クリエーションとケア」のこと、それから延期なって開催決まってない『物語によるソーシャルワーク試論』も、もっかい最初からフリーライティング的にやってみよかな。
いま躁状態だからなんでも手を出してしまいそうで危険なんだが、お金使わんければ大丈夫やろ、という楽観。

2月24日(水)

ここ最近は執筆で疲れ、それゆえか食欲とのバランス調整が難しく、とくに夕食はついつい食べ過ぎてしまう。
今日はコメダのドミグラスバーガー、昨日はサンエーの弁当。そういえば今日の昼もサンエーの弁当。

いま書いてる脚本。
ふつう主人公の葛藤と成長を描くのがドラマ作りの定石。でもきっと、その葛藤自体は弱い。定石では、構造としてはざっくりいうと〈日常→非日常→(あらたな)日常〉という展開になる。
今回の設定は将来に悩む30代手前の男性で、忙殺された日常から、退屈な非日常を味わい、退屈の中に良さを見出し気晴らしをし続ける、というようなもの。
生真面目な主人公はどんどんゆるくなる。脱力が進む。主人公の獲得する「(あらたな)日常」は限りなく「非日常」に近いものとなる。
非日常にとどまる、染まる、洗脳される。そういう話。大きな事件は起きないし、わかりやすい苦しい葛藤も見えない。
ドラマとしては「セントラルクエスチョン」をもっと用意した方がいいのかも知れない。おそらくそれにあたるのは、「主人公がちゃんと転職できるのか?」「お店を継ぐことができるのか?」という部分。
「継ぐ/継がない」問題のはじまりと終わりは描いているが、「引っ張り」はあまり描けていない。そこを描くべきなのだろう。明日はその部分を考えて修正してみよう。

しかしこのドラマもそうだけど、わたしは医学書院の「ケアをひらく」というシリーズから多大な影響を受けていると思う。
この本もバリバリ『居るのはつらいよ』のオマージュだし。いってしまえばわたしは、ケアをひらくのヘビーユーザーである。
読者というよりも「ユーザー」つまり「使用者」。「使える」のです、このシリーズ。
たとえば『中動態の世界』とか読んだ後なら、イライラした時とか「(わたしは)怒っている」と能動的に捉えるのではなく「わたしを座として〈怒り〉があらわれている」あるいは「わたしが〈怒り〉になっている」などと捉えることができ、それによってはじめてその前後関係について視点・観点が向かうのである。
アンガーマネジメントなどを行おうとするのであれば、まずは「中動態」の概念を獲得することを優先するべきだろう。
そういうふうにして「使える」のである。ほかにも『弱いロボット』なんかは平田オリザの演劇論あるいはコミュニケーション論の副読本としてとても適していると思う。

2月26日(金)

原稿の修正をしなければならないが、いまは気分が乗らないのでエンジンをかけるために日記を書いている。
いま朝の7時28分。コメダに来て28分が経過しているが、その間ずっとネットニュースばっかり漁ってしまっている。
まあでも、考えてみればいつもこんなもんだ。なんか普段はちゃんとやってるっぽいふうに書きそうになるが、ちゃんとやったためしなんてなかったのである。
人間の記憶というか認識というか、それはなんて曖昧でテキトーで無責任なものなのだろう。まあ「人間の」なんてどでかい主語を使ってるけど、「俺」の話です。

そういえば「俺の家の話」を今回はフォローするって決めてたのに、執筆と重なって結局観れてない。はぁ。まあしゃあないのだけど。
連続ドラマというものが全然観れない。一気にやってくれないと観れないし、でも一気にやっても一気には観れない。
ちびちび自分のペースで見たい。かといってNetflixとかのサブスクだと、いつでも観れるからと油断してどうでもいいユウチュウバーとかを見てしまったりするのである。
あぁ、人間とはなんたる愚かなものか。はあ、誰か金持ちに見初められて大金をいただけないかなぁ。そしたら仕事は全部午前中でやめてドラマでも映画でもゆっくり観れるのに。
そういえば映画も観たいのに観れてないや。仕事の関係でモンテッソーリのドキュメンタリーは観ないとだし、すばらしき世界も観なきゃ。花束みたいな恋をしたは、観ると死にたくなりそうだからいまはやめておく。

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