第7回[2月5日〜2月11日]

2月です。今年度も残すところあと2ヶ月。コロナに翻弄された年度でした。どうせこれからも影響を受けまくっていくのでしょう。そもそも打ち勝とうなんて魂胆が間違っていて、人類みんな冬眠しちゃったらいいんです。コロナ終わるまで、いや終わっても、みんなで冬眠しましょう。赤信号、みんなで渡れば、青信号。
(写真は園の庭で育てているトマト。かわいい)

2月5日(金)

7時30分服薬。

今日も朝から執筆。今日から二人目の主要人物、ていうか主人公へのインタビューを開始した。明日で終わらせて、日曜にはもう一人の「おばあ」へのインタビューを完了させたい。

一人の時間というのは、まとまって取れない。朝の時間だけだ。
昼間は細々としていてノッテくる前にタイムオーバー。夜にやろうと思っても、妻からの体調不良を知らせるLINEで早く帰るなどあり、なかなか進まない。帰って風呂に入ったらもう寝る時間。1日が早過ぎる。
充実しているのか、といわれると、していないとも言えないし、かといってしているわけでもない。
というか、やはり家で書く日記は気持ちがノラナイ。もう今日は終わりにする。

2月6日(土)

8時10分服薬。

最近は不眠もほとんど解消され、22時にはベッドに行き、1時間以内では入眠できている。
なんて素晴らしい。生活リズムが整い、年明けから2キロほど体重も落ちた。いまももう眠いのです(21:50)。
その眠いなか日記を書いているわたしの頑張りを誰か褒めてください。
この日記は飽きても、飽きたと書きながら続けていきたいと思っておる。
ていうかもうすでに飽きている。ここからが勝負である。
自分なくし。自分洗脳。飽きていないふりして書いていく。どこまでできるだろうか。
眠さと飽きに苛まれながら頑張っている私をだれか褒めてください。褒めろ。

さて、といいつつ、わたしは本当に褒められたいのだろうか。褒められたら嬉しいけども、日記頑張ってるねなんて言われたら、恥ずかしくて辞めてしまうかもしれん。
自分でSNSで拡散とかしておいてなんだけど、読まれるのは恥ずかしい。
と、ここまで書いて、この日記に「頑張ってるね」なんて言える要素なんてないのだった。一安心。
これを続けて、ひたすら続けて、最終的に「まだやってる」って言ってもらえるように頑張ろう。「キープ・オン・ロックンロール」を意訳すると「まだやってる」なのである(©️みうらじゅん)。

俵万智がnoteに、『愛の不時着』について書いてて、それ読んでドラマ思い出してキュンとしてしまった。
実はこのドラマにまつわる辛い記憶がわたしにはあるので複雑な感情にはなるのだけど、でも面白かった。
ていうか、俵万智が合間合間に挟んである短歌が素晴らしいな。わたしはソ・ダンし〜の美しさとツンツン具合にやられてしまったタチなので、ク・スンジュンとのあの別れはマジで泣いた。でも彼女の中でク・スンジュンの存在が、いや「不在」が確実に栄養になるのだろう。
てか短歌いい。

「いのちとは心が感じるものだからいつでも会えるあなたに会える」俵万智

これがソ・ダンし〜に捧げられた歌である。素敵すぎる。
全然関係ないけど、ちょっと前に思いついた私自作の短歌をここで発表する。文脈も何もない。愛の不時着なんにも関係ない。ただわたしの見せたいという欲求のみによってここで発表する。刮目せよ。

「文字数を用いずモテる者たちを恨み羨む裏アカウント」

2月8日(月)

服薬なし。昨日夕方に薬を飲んだら、今日は朝からだるくて仕方がない。眠いし。やはり朝飲んで昼間の眠気に耐える方がいいような気がする。

今日もオーディオドラマのキャラへの架空インタビューをやっていたのだが、ふと、この方法って幸福の科学の例のアレみたいじゃないか、と気づいた。なんだか嬉しい(なんでだ)。
なのでこの方法を、つまり架空の人物を対話相手としてその対象のキャラクターを造形していく方法のことを、「大川メソッド」と便宜的に名付けようと思う。
この大川メソッドを使って今日も書いていたのだが、自分で造形しているはずのキャラクターの言葉に、わたしは嗚咽を漏らしてしまった。
なにが起きたんだ、と自分でも思った。なんでわたしは自分で書いたことに感情を揺さぶられて泣いてしまっているんだろうか。やはり情緒がちょっとバグってるのでは。まあでもいいや。
自分がそういう現象の真ん中にいるっていうのがよくわかるエピソードとして今後語れるなーって思ったから。要はひとつのネタになった。中動態ネタ。
しかしこれ共感してもらえるのか? わかんねえけど、いいや。そのときは「そういうもんなんですよ」とゴリ押せばいい。と書いてるけどわたしはいま書いているこの文面の意味をあまりわかっていない。言い換えれば、眠い。ほぼ自動的な指先の運動でこれを書いている。
でもまだ続ける。

今日、卒園児の保護者であり、いまも園を手伝ってくれている人であり、歳の離れた友人が保育園に来て、すこし話をした。
この日記を読んで、わたしが躁鬱であることを知ったのだという。
最近も全然会ってるんだけど、わたしの様子が普段通りだから気付かなかった、ごめんねと言ってくれて、ううん、いまは調子いいからさ、などと話した。
そこに他の職員とかも加わってちょっとしゃべったのだけど、そこですこしビックリしたのは、みんな意外と精神科医と臨床心理士(カウンセラー)の違いをあまりわかっていないということだった。
簡単に説明したら「へー、知らなかった」「スッキリした」という反応だったので、そういうもんなんだなーと新しい気づき。まあでも、一口に「こころ」とか「メンタル」とかって集約されちゃうから、一括りにされるのも無理はないかもしれない。
もちろんそれぞれの領域の中にもグラデーションがあってそんな綺麗にわけられるわけじゃないんだけど。
かくいうわたしも、主治医の診断が物足りなく感じているタチなので、カウンセリング的なものを望んでもいるのだろう。わたしはもっとしゃべりたいのである。薬についての考察や解釈を聞いてフィードバックが欲しいのである。
でもまあ、そんなことより薬が効くかどうか症状があるかないかの方が医療としては大事だし、まあそうですよねーとなってる。
でもわたしはこういう保育園周りの友人たちやマッピーやいくのさんみたいなコメ友(コメダで喋る友人)がいるからカウンセラーにかかる必要性はあまり感じていなかったりする。要はおしゃべりがしたいだけなのかもしれない。というか、きっとそうだ。

腕が重い。風呂も入ったし、もう今日はそろそろ寝よう。

2月9日(火)

7時25分服薬。

この日記は正確には2月10日に書いているのだが、そんなことはどうでもいいのである。とりあえずこれは昨日書いたものとして、そういうことにしてすすめる。
別に今日の日付(10日)でもいいのだけど、今日の夜に書くやもしれぬと考えたら、空けておこうと思っただけで、でももしかたしたら今日の夜書かなくて、今書いてる昨日の分をごっそり今日の分に移動させるかも知れぬのだが、それをしたところで何がどうなるというわけでものいので、そうであれば別にどっちでもいいじゃん。早く内容入れよ。

はい。でもこんなふうに書くことでエンジンがかかるというか、いきなり試合みたいな感じより、まずランニングでしょ、まずストレッチでしょ、まずキャッチボールでしょ、てなことを言いたいわけではあるが、じゃあどの部分がランニングでどの部分がストレッチでどの部分がキャッチボールなんだと問われれば「うっ」っとなってしまうわけで、でもこれはあくまでも比喩なわけだから別にどうなってもいいじゃん。早く内容入れよ。

今日は(正確には昨日)(ややこしい)は、オーディオドラマのキックオフミーティング。
局のプログラム・ディレクターとチーフ・プロデューサーとエグゼクティブ・ディレクターというおどろおどろしい肩書きの人たちと一緒に今回の作品の流れや背景などを話し合いながら、ある程度の道筋をつける。
もともとある程度のプロットはあったのだが、このミーティングでグッと方向性が定まった。
あとはわたしが書くこと。とりあえず初稿を書き上げないことにはドラマも進まない。プレッシャーだけど楽しみではある。
いまが鬱真っ盛りの状態じゃなくてよかった。少なくとも仕上がるまでは薬と仲良くやっていかなきゃな。

ミーティング後に、担当ディレクターからメール。渡しておいたキャラクターへの架空インタビューのテキストについての感想。好意的な言葉をもらい、とても嬉しい。
細かな矛盾点はこれから直すとして、でももう1名分インタビューを取りたいと思い始めている。そのためにはわたし自身の前の職場時代の記憶の棚卸しや、『裸足で逃げる』などをちょいと読み返してみる必要もあるだろう。
明日(昨日)(マジでややこしい)の明るいうちにそれは終わらせて、夜からはインタビュー取れるようにしよう。
マジで頼りにしてるぜ大川メソッド。守護霊にインタビューするなんてフォーマット考えたのガチの天才やん。何でも誰でも(しかも超低コスト)でいけるやん。

そんなこんなあって今日(昨日)(ていうか日付で書けよ)は疲れ切って、19時30分にはベッドへ。明日(今日)も朝から執筆や(今ちゃんとやってる。えらい)。

2月11日(木)

18時30分服薬。

今日は朝からYoutubeで赤い公園を見て、「pray」のプロモにすでに予感されている「その後」を思ってガチ泣き。いい歌詞といいメロディだけど、このMVは涙なしでは見れん。
で、その後で『裸足で逃げる』の鈴乃さんの章(「カバンにドレスをつめこんで」)を読んでまたしても号泣。ガチ泣きパート2。朝の2時間弱でどんだけ泣いとんだ。情緒!!

今日は某放送局で脚本家登録するための写真を撮ったのだが、今日に限って顔が浮腫んでるのはなんなんだ? 体重減っても顔浮腫んだら意味ないやん。
しかしこの何年も、ちゃんとした写真て撮ってないな。自分を撮す機会なんてトントないし、あっても単独のはないし、単独のがあってもすっとこどっこいの顔しかない。
写真てなんじゃ。なんで写真撮るんじゃ。わしのスマホ、何を撮ってるんじゃろう。データはいっぱいあるのに、ようわからん。
大山顕さんの『新写真論』を読もう。ずっと積ん読。あの本では「顔」が重要なテーマだと言っていた気がする。

大川メソッドを使って、4人目のインタビューを始める。結構長くなりそうだ。
あまり長くなり過ぎると大変になりそうだけど、ちゃんと作り込めば、キャラクター同士の関係性が見えてくるし、それぞれの行動や選択もわかるようになってくる。
神の視点でわたしが脚本家として創造するのではなく、観察者として、あるいは記録者として作品に関わる、そういう感覚の方が近いだろう。
大川メソッドによってその「中動態」的な作品創作にグッと近づいた。これは確信的である。
まあこれで実際に作品が仕上がらなきゃ意味がない、となりそうなんだが、別に中動態は必ずしも作品の完成=納品と関係がない。
なぜならプロセスの話だから。このやり方で作っていくなかでの気づき、それが今回獲得すべきものだ。作品は副産物であると言ってもいいのかもしれない。
もちろん、納期は守るけれども。守りたいけれども。守れるかはわからないけれども。でも守りたい。その気持ちだけは誰よりも強い。

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