第19回[6月2日〜6月6日]

2021年も半分終わったと見せかけて半分が終わるにはあと1ヶ月あるんでした残念。課されたものがあるから焦りもあるのであって、何も課されなければ快適な暮らしが送れる。課されたものよすべて消え失せろ。
子どもが1キロほど体重増えて抱っこが重いのが嬉しくてニタニタしてしまうわたしは世俗的だなあとうっとり。

6月2日(水)

薬の影響で体が重いし頭もぼーっとする。眠い。午後2時。いま職場にいるのだが、ちょっとだけ休んでこよう。

1時間ほど横になった。すこし眠ってしまった。

ホラー作品の方向性が少しずつ見えてきた。たぶんだけど、ホラーではなくなる。
ユタが出てくる。ユタについてちょっと調べてみようと思った次第。

6月3日(木)

社会的になることと、主体的になることは、当たり前だけど全然ちがうことだ。
「社会」というのは、本人が主体化の過程を通じて自ら形成していくものである。息子の隣でウトウトしながら、そんなようなことを考えた。

「社会に出たときのために」とか「現実を見て」とか、そうやって子を導こうとする大人の価値観は、子どもの世代にとってはもはや「ダサい」。『おやときどきこども』の最初のパートを読んで、ギクリとした言葉。
子どもは、主体的で、自らを導いていこうとする力を持っている。
大人の価値観で「現実」を押し付けるのは、子どもを“信じていない“ことの表明でもある。
この子を信じよう。この子のもつ可能性を楽しみに、それを広げられるような関わり方をしていきたい。いろんな経験、いろんな出会いに、触れられるような生活をしていきたい。

『野の医者は笑う』を再読したいのだが、時間と気力が今は足りていない。
それからユタと「ヌジファ」についての研究論文を読む必要がある。参考になりそうな論文がネットで見つかった。
そこで大まかなマッピングをした上で、ドラマ作品のプロットを作ってみよう。
一応なんとなくできあがってはいるけど、単発作品としてはパンチが弱いというか、かといって連続ドラマとしてはキャラが弱いというか。
キャラクターについては大川メソッドを使って膨らませてみようかとは思っているが、プロットはまだまだ魅力が足りない。その前に一旦ログラインを整理した方がいいかもしれない。

友人から嬉しい言葉をもらった。
彼女は毎日の朝食に卵焼きを作るらしいのだが、『ふしぎの国のハイサイ食堂』を聴いた後から、毎朝フライパンの上で固まっていく卵を見ながら「卵、気持ちよさそう」と笑顔になるのだという。
フィクションが日常に影響を与えるってこういうことだよな、と思った。それができる作品を書けたというのは、もっと喜んでいいし誇りを持っていい。

6月4日(金)

いま何をするのが正しいのか、常に問いを突きつけられてるような感覚で日常を過ごすことを、この先も続けていけるのか?

「見立てとか診断とかは、ひとつの物語を提示することに他ならない。」(『東畑開人『野の医者は笑う』131頁)

医師から提示された「過労の物語」が、わたしにとっっては不安定なものだということだ。

「治癒とはある生き方のことなのだ。心の治療は生き方を与える。そしてその生き方はひとつではない。」(『野の医者は笑う』266頁)

わたしなりの「生き方」を構築していくこと。それが必要になる。

(1)
薬によって良くなるというバイオロジカルな道、これは「元の状態に戻る」ことを「治癒」と設定する。
でも正直、もう戻れない、という感覚がわたしにはある。破壊的可塑性を経て今があるのだと感じているのであり、薬で「元の状態に戻る」ことを「治癒」とは設定できないし、したくない。
あの頃とは身体も感覚も状況も違う。

(2)
「諦念の哲学」。これは一つの有力な道だと思う。
『ハイサイ食堂』のおばあの哲学とも重なる。『三美スーパースターズ』もこの領域に入るだろう。
ゆっくりする、無理をしない。この生き方を身につけることが「治癒」である。

(3)
もう一個の道は、坂口恭平だろう。
好きなことをやる。楽しいことをやる。彼が多くの人を惹きつけるのは、彼の生き方そのものがそれを体現しているから。
彼のようなロールモデルと同時代に生きられているということを幸運に思った方がいい。
彼は最近「事務」についての連載をしはじめた。多分、これはとても重要で、事務を楽しいと思えた瞬間にいろんな困難が解消されるのではと思う。

まとめるとどういうことか。「打ちにくいボールは打たない。捕りにくいボールは捕らない。良いボールは思いっきり振る。笑いながらボールを追う」こんな感じかな?

6月5日(土)

やたらとジメジメして気持ち悪い。肌もベタベタになるし、電気代も嵩むし、洗濯物も増えるから水道代も上がるし、衣服の回転も上がるからイタミも早くなるし。

息子が生まれて4週目に入った。来週には1ヶ月になる。早い。

6月6日(日)

昨日はなにを思ったか夜ご飯をインターバルをほとんど設けることなく2度も食べてしまった。
2回目を食べ始める前には満腹で食べ切ることは無理であることはわかっていたのだが、なぜかそれにチャレンジする必要があると感じてそうした。そして完食した。
そしたら、夜中気持ち悪くなって吐いてしまった。アホや。
でもなんでか満足している自分がいる。そんでもって今日はお腹を壊している。でもなぜか満足している自分がいる。

昨夜、わかこさんがアトリエにやってきて、しばしおしゃべり(作業の邪魔をしてしまったな)。
県内で演劇活動を継続するのは大変だけど、それを支える人たちも大変だよなぁ、と思った。
助成金や補助金でどうにかなるならそれに越したことはないけど、それだけに頼っても未来が見えないし、ある程度技術や技能をマネタイズする方法をもってないといい作品を作り続けることは難しいんだよな、というなんとも当たり前のことを思っている。
わたしは外から依頼が来る分恵まれているよな。自主企画なんてほぼほぼ赤字だもん。でもそれを続けている若者が多くいるわけで、どうかその人たちが辞めてしまわないようにどうにかこうにかなればいいのに。
どうにかこうにかがわかればわたしも嬉しいし、助かる。

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