琉球新報の連載エッセイ『つくられた島 埋められた島』の第3回目(2026年8月13日掲載)をこちらに転載します。
今回はわりと真面目にというか、ちょっと硬めの文章になっています(当社比)。
屋我地島 選ばれた「翌日」の島
どうやら恐竜が出るらしいテーマパークの程近く、屋我地島にある国立ハンセン病療養所沖縄愛楽園。
その交流会館での常設展や企画写真展の見学、トークイベントの聴講、ハンセン病関連書籍の購入等のために、ひとりで、友人と、またまた息子を連れて、ここ数年たびたび通った。
その度に私は、敷地を覆う植栽帯を潜ると現れる静かな海をゆっくりと眺めていた。
別に何かに想いを馳せたりとか、そういうのじゃない。なんとなくじっと、ただ眺めていた。
自身もハンセン病者であった青木恵哉は、キリスト教伝道のために昭和2年に来沖し、同病の患者救済のために奔走した。
その著書『選ばれた島』には、彼が屋我地島に患者立の療養所を開くまでの苦難の日々が、詳細に描かれている。
壮絶な、と一言で形容するのを躊躇うほどの内容だが、青木はそのあとがきで、屋我地島を「不浄の島」と見なす向きを諌め、「世の中でもっとも不幸な人々、見捨てられた人々が救われた島……つまり人間愛の実った島として、むしろ神の祝福と選びを受けた島であると信じること」を説く。
その忍耐や信仰心の強さには畏怖の念を抱くばかりだ。
彼は自身の所有する土地に病友たちが到着した昭和10年12月28日を「沖縄ハンセン病救済史上に特筆されなければならない日」と強調する。つまりその日に、屋我地島は神に選ばれた。
精神科医の中井久夫は、彼以前の精神病理学がもっぱら統合失調症の発病の瞬間ばかりを重視したのに対し、その寛解過程にこそ注目することを謳った。
その根底には彼が宣言した「翌日の医者」という立場がある。
ある種の聖域化さえ生み出す決定的瞬間より、長く続くその後=「翌日」を重視する。これは統合失調症に限らず、もっといえば病に限らず、至極当然の視点とも言える。
でもその当然さは、必ずしも社会に標準装備されていない。
青木は先の文章の直前に、元来あった「戦災から復興に至るまで」の内容を削除したと明かしている。
つまり療養所設立の「翌日」からのことは、同書に記載はない。
愛楽園やハンセン病の関連資料を調べると、その後も患者たちは過酷な差別に追い詰められている。常に恐怖や不安や絶望の渦中にいる。「当日」以降もなかなか「翌日」はやって来ていないように見える。
そして「翌日」の前に、戦争がやってきた。
『沖縄県ハンセン病証言集 沖縄愛楽園編』は、戦前から戦後にかけての患者の体験が記録された貴重な資料だが、次の一節を読んだとき、その重さに胸が押し潰された。
「私たちにすればね、戦争があった方がよかった。なんにも音沙汰がなくなるさね、私のことも。それで終戦後はいじめられないようになって。戦争して負けたんだけど、 自分たちの幸せは戦争があった方がいいって(話した)。」
戦争という巨大な悲劇をぶつけることでしか、当事者にとっての「当日」から抜け出せない。
すべてが焼き払われ、ある意味で均質化された戦後に紛れ込むことでしか、生き延びることができない現実があった。
ふと、あの長閑な海の光景や波音を、「翌日」と呼びたくなっている自分に気づく。
同時にその傲慢さと無責任さに苛まれる。
当事者の「翌日」について私が何かを考えたり書いたりしていいのか。
熟考の末、すこしだけズルをする。
青木は屋我地島そのものを主語にして「選ばれた」と表現した。
私はそれに寄りかかって、一時的に自分を島の一部であると嘯いてみる。展示を見る瞬間、資料を読む瞬間、あの海の前に立つ瞬間、私はあの小さな島のさらに小さな一部である。
島を代表するわけではなく、波打ち際をコソコソ動く極小な一片。
ここまでは自己正当化のための詭弁だが、入所者や職員、彼らの生活と活動そのもの、あるいは施設やその環境、地域住民などを含み込んだ「島」が主語となって、その「翌日」を必死に作りだそうとしてきたことはありありと想像できる。
もちろん一筋縄でも一枚岩でもなかっただろうし、大きなものに包摂することには慎重さも必要だ。当事者の体験や時間を矮小化する意図はない。
だがこの島が長い長い「当日」を「翌日」へと架橋しようとしてきた軌跡は、至るところに刻まれている。
昭和10年12月28日を青木が「特筆されなければならない」と記したのは、その日を「翌日」のはじまりとする宣言だったからだ。
特筆された日の翌日、地域住民から即刻退去の要求を受けた。
だがやがて、こっそり物売りがやってきて、青木らと親しくなっていく。その人は、集会などで烈しく野次を飛ばす存在でもあった。
青木が問いただすと、「わしは、本当はあんたたちと親しいだろう。だから、みんなの前では反対しなくちゃならないんだよ」。
青木はそれを笑い話として紹介するが、そこに「翌日」の萌芽が見えたような気がした。
〔2026年8月13日(木)琉球新報掲載〕


