琉球新報の連載エッセイ『つくられた島 埋められた島』の第2回目(2026年7月9日掲載)をこちらに転載します。
初回の久米島の反響が予想外にありまして、初回からハードルがぶち上がってしまったのですが、それに応える気もあったりなかったりするので初回分と今回のは雰囲気は全然違ったりしてます。
舞洲、夢洲 廃棄物カーニバル
舞洲。大阪湾にある、廃棄物を埋め立てた人工島。同じく人工島で昨年万博が開催された夢洲とは橋一本で繋がっている。
地図上でみると島の輪郭は直線で形成された五角形をしており、東側を物流・環境ゾーン、西側をスポーツ・レクリエーションゾーンと区分されている。
USJへと案内する標識を通過して橋上を進んでいくと、海に浮かぶモノトーンな直線たちの中に、奇妙な形状と色彩をもった巨大な突起物が見えてくる。
「なんかヤバい」。第一印象はそれだった。言葉を紡ぐことで生計をたてている人間としては甚だ拙いが、だがこれを書いているいま現在においても「なんかヤバい」以上の感想を抱くことができていない。
そのヤバさの発生源は、ゴミの焼却施設「舞洲工場」と、下水汚泥処理施設「舞洲スラッジセンター」の二つの建物で、どちらもオーストリアの建築家・フンデルトヴァッサーによるものである。
彼の建築の根っこにある「自然回帰」という思想は、「自然の中に唯一存在しないもの」としての直線をできるだけ廃し、曲線や渦巻きが多用された物体を生み出す。施設を運営する大阪市や組合のWEBサイトにも、「自然との調和」や「周辺環境との調和」という言葉が記されている。
小雨の散らつくなか傘をさして歩き回り、どデカくてカラフルでくねくねした建造物を見上げる。この巨大な塔は何? あの金色の球体は? そして、調和?
機能性や合理性を最短距離で志向する人工島のなかでは、手入れされた周囲の植栽も含め、この建物はあきらかに異物だ。祝祭性をまとったその造形と色彩は、調和よりも逸脱、さらには転覆を図っているように私には思えた。ロシアの哲学者ミハイル・バフチンが「カーニバル」と呼ぶ現象においては、共同体の規則が一時的に無効化され、既存の階層構造が転倒するような不安定な状況に陥り、その最中に新たな文化的実践が勃興する。
本来カーニバルは民衆により引き起こされるボトムアップな現象だが、この場所ではちがう。それらは公共施設であり、フンデルトヴァッサーを起用したのも建築案にGOを出したのもすべて大阪市の判断だ。つまりこれは制度の側が企図した、いわば「上からのカーニバル」とでも呼びうるものだった。
建設費の高騰や公共建築の景観と相応しくないなどとした批判等はあったようだが、「NIMBY」(Not In My Backyard=うちの裏庭にはやめてくれ)と呼ばれる施設にカビな意匠を施すことで、今では国内外から見学者を吸引するほどになっている。
ここで起きているのは、通常隠されたり他所のバックヤードに押し込まれたりする迷惑施設が、観光資源や芸術作品へと反転したという現象だ。ごみや下水、汚泥などを処理する場所にまとわりつくイメージとしての「汚れ」、もっと具体的に不衛生や悪臭など、そのような忌避すべきイメージを払拭した「成功例」と見なされている。
奇抜でありながらクリーンである。そんな印象を内外に発信することができるようになった。邪推だが、お隣で開催された万博も、「上からのカーニバル」というベストプラクティスを踏襲してたりして。
カーニバルはそもそもが一時的なもので、すぐに元の秩序が回復する。公金を投入して祭典が催され、経済効果と高揚感が膨らみ、終われば総括せずとも人々は日常に戻り、開催地では再開発が進められる。批判があっても、開催にこぎつければあとはなんとかなる。このような思考はあらゆる領域でプリセットされているように思う。
説明責任をはぐらかし、転倒リスクを取り除き、偉き者たちは島外の特等席に座し、島内を優雅に眺めている。そんなふうな光景を思い浮かべてみる。
舞台にはコンクリートから生え育った奇形の巨大建築物たちが板付いている。騒音や排気を散らしながら頻繁に往来するトラック、のこのこやってきては浮かれて写真を撮ったりする私のような見学者。この「周辺環境」は建物自身が生み出したビオトープである。彼らが環境の側に「調和」を促した。ここに、建物のエージェンシー(行為主体性)が立ち上がっている。
突如、カーニバルがはじまる。それは民衆からでも「上から」でもなかった。主演は二つの奇抜。彼らはごみを喰み、汚泥を啜り、にょきにょきと育つ。肥えた彼らはその肉体の内部で蠢くごみたちの躍動を感じている。徐に起き上がり、暴れまわる。やがて私も食べられて、消化されて、排泄される。分解と循環のプロセスに巻き込まれる。
バフチンはカーニバルにおいて、演技者と観客の区別はないと言った。だから彼らはきっと特等席をも破壊するにちがいない。あるいはブルシットを投げつけるかもしれない。いいぞいいぞもっとやれ!……失敬、取り乱しました。
〔2026年7月9日(木)琉球新報掲載〕


