2026年6月より、琉球新報で月1回(1年間)のエッセイ連載をすることになりました。
連載タイトルは『つくられた島 埋められた島』というもので、その名の通りテーマは「島」。ざっくり!
なんかなんとなく、「島」っていうものというか存在というか、そういうのをぼんやり考えてみたいと以前から思っており、なので新作のモチーフにも使ったりしてるのだが、あらためてエッセイとしてとぼとぼ言葉を紡いでいこうと思ったのでした。
先月から連載ははじまっておりまして、初回の舞台は「久米島」。
昨年訪問した際に印象に残ったできごとを起点に書いてみました。その内容をこちらに掲載します。ぜひ読んでみてくれたら嬉しいです。
(前月に紙面掲載された分をこちらに載せる、つまり1ヶ月遅れで、という感じでやっていきたい。できれば。わからんけど)
久米島 ウージの海に隠れた傷
普段過ごしているこの地が「島」であると意識するのは、たいてい離脱の瞬間である。少なくとも私はそうだ。飛行機の窓から見下ろした時、あぁ確かにここは島だなぁ、などとぼんやりしたことを思う。島とは何か、などとあらためて問うようなことはここではしないし、できない。水に囲まれた陸地。大陸ではない場所。そんな程度の理解で、「島」をテーマとした連載をスタートする。
遠く隔たれた島々は迷惑施設を格納するのに適しており、利便性と快適さを中央へ供給する拠点となる。また時には島自体が楽園となって、訪れた者に癒しを提供する。ときに便利でときに脅威であり、隔絶と解放の両極端なイメージを喚起しうる、複雑で厄介な場所あるいは存在。そんな「島」について、やはりぼんやり考えてみようというのが本連載の趣旨だ。
ぼんやりを掲げているので、まずは抽象的にはじめたい。「環状島」という、精神科臨床において概念化された、トラウマについてのモデルがある。提唱者の宮地尚子は端的に「真ん中に沈黙の〈内海〉がある、ドーナツ型をした島」と説明する。重すぎるトラウマは当人から言葉を奪い、その語りや表象は破綻する。その状況を島という空間イメージによって捉えようとしたものだ。この概念レンズでもって、私はある具体的な島を見てみたいと思った。久米島について考えてみたいと思った。
沖縄戦において久米島は、その戦地となることはなかったが、最終盤から終戦後にかけて日本軍による住民虐殺事件が起きた。スパイを疑われた者は、赤ん坊でさえ処刑された。
虐殺を行った部隊には島の出身者もおり、また部隊に「情報提供」をした島民もいた。戦争は終わっても、島の生活を終えるわけにはいかない。つまりこの小さな島の中に、虐殺に加担した者やその家族と、被害者の遺族たちとが混在したまま共同体を営まねばならなかった。なるほど、なれば自ずと「沈黙」が蓄積し、その記憶は〈内海〉へと沈められることになる。
しかし私が気になるのは、事件よりも、その追悼碑のこと。昨年2月、地図アプリに案内された地点に到着しても、目指した石碑が見つからない。周囲を歩き回ると、サトウキビ畑の真ん中に、突如「痛恨之碑」は出現した。伸びたサトウキビの背よりも低い場所に位置し、時期によって見えたり隠れたりする追悼碑。建立の目的からは甚だ逸脱した形で、私の興味は惹きつけられた。

宮地は島の形成に影響を与える要素として〈重力〉〈風〉とともに〈水位〉を挙げる。それはトラウマに対する社会的関心や理解の程度を意味し、それらが高まると〈水位〉は下がり、沈黙が見える。
サトウキビが刈り取られ〈水位〉が下がった〈内海〉から、沈黙する石碑が現れる。そんなイメージが私の脳内に浮かび、沈む。
宮地は「傷を愛せるか」というエッセイにて、ワシントンDCにあるベトナム戦没者記念碑の訪問時を回想し、そびえ立つワシントン記念塔の巨大さに比べ、窪地に建立されたちっぽけな記念碑を前に「みじめだと思った」と身も蓋もなく記す。そしてその低さやちっぽけさの感覚から、記念碑を「曝されたままの傷」であると捉え直す。
「美しい傷など、実際にはまずありえない。傷は痛い。傷はうずく……傷はみじめで、醜い。見にくくもある。だから見たくない」。そのような「傷跡」が、それでもそこに残されていることに、宮地は「一つの奇跡のように思えた」と述べる。
痛恨之碑は、サトウキビ畑の〈内海〉に沈み、その収穫直後に顔を出す。時が経てば隠れ、そしてまた顔を出す。できたかさぶたを剥がすように、傷はときおり顕になる。
虐殺を行った部隊は「山の兵隊」と呼ばれ、宇江城岳に駐屯していた。島をぐるりと一望できるその場所は、米軍のレーダー基地を経て、今では航空自衛隊の分屯地となっている。そこから見下ろした遥か先で、痛恨之碑は化膿と乾燥を繰り返している。
傷跡を前にした私たちが、そこにあったはずの痛みを実感することは、そしてそれを未来に繋いでいくことはできるのだろうか。できるとしたら、どのように? 負の歴史を学び、悲劇を想像し、それを心に刻みつけることで?
私たちが「決して忘れてはいけない」と心に刻むのは、その碑が建立された経緯や歴史ではなく、「忘れないと誓っている私」という自画像なのではないか。だとしたらそれは痛みではなく、「イタさ」と呼ぶのが相応しい気がする。歴史を学んだと感じ、忘却に抗っていると感じ、未来に思いを馳せていると感じる私のイタさ。
でもそのイタさ故に傷に反応するのだと、根拠はないが信じてみたい。治癒などできないし、島内をオロオロと徘徊するしかできないのだけれど。
〔2026年6月11日(木)琉球新報掲載〕


